
小学生の頃、何者にでもなれると思っていた。
中学生の時、テレビに出ている人たちや歴史上のすごい人たちに憧れていた。
高校生になっても、人生なんとかなるだろうと漠然と思っていた。
社会に出て、なにもできない自分を知った。
人生、何かしないとなんともならないかもしれない。
なんとなく生きて、なんとなく幸せな家庭を持って、なんとなく幸せに生活する。
そう思っていたのに、なんとなく幸せになることすら難しいことに気づいた。
こんにちは、アラフォー、未婚、低賃金の飲食店勤務、えどがわです。

なんとなく幸せになることすら難しい時代なのですが、ツイているのは、才能がなくても個人の力で成功できる時代に生きていることです。
昔だったら、スキルも特技も長所もない自分のような量産型従業員は、いい人生を歩むチャンスなんてありませんでした。
インフルエンサーではないですが、主婦や学生、無職、フリーター、ブラック企業社員であろうが、今の時代、自分で人生を切り開けるのです。
特に2015年以降はどんどん個人で仕事を始めやすくなっています。
「アラフォーであろうが、この時代に生きている私はツイている」そう思ったんです。

やるか、やらないか。
人生変えるのか、このままでいいのか。
やるしかない、こんな不安と不満を抱えたままずっと生きるのは怖い。
ブログ以外にもプログラミングにチャレンジしたり、YouTuberになろうとしたり、いろいろ手を出してみましたが、ブログの魅力にハマったので頑張ってみました。
私はブログで返り咲きます。
出発はブログですが、ブログから次につながるビジネスはたくさんあることも知りました。
これからお話しする凡人えどがわの半生は決しておもしろくはありませんが、普通の社会人や、普通の主婦、普通の学生さんなど、同じ一般人なら共感できることがあると思いますので、気になったら読んでみてください。
凡人えどがわ、実は人生を変えようと思って、飲食店を始めたことがあるんです。

500万円借り入れをするというリスクを背負い、自分のビジネスを始めたのですが…。
結果、閉店→負債を抱える→無職になる→再就職。
そんな話しもできたらと思っています。
中部地方の小さな町で育つ

地方の平凡な家庭に生まれました。
ど田舎でもなく、都心でもなく、小規模な地方の町です。
不自由な思いもなく、さして贅沢もなく。
地方は事件や物騒なことがあまり起きないので、小学生の頃は自由に近所を走り回っていました。
砂まみれになったり、虫を捕まえたり、ゲームに熱中したり、遊ぶことが仕事だった小学生時代。
何気ないことでも十分楽しかった小学生時代です。
中学時代はお笑いと音楽にハマりました。

スマホから世界中の情報を手に入れられる現代とは違い、情報ソースはテレビとラジオと雑誌のみ。
同級生間の情報格差は現代ほど大きくなかったので、同じ話題で話せるのは良かったかもしれません。
特に不満もなく、かといって具体的な目標などもなく、大人になるってまだまだ先のことだと思っていました。
高校生になり一気に自我が目覚めます。
自分はどうなりたいのか、どうしたいのか、なんだかよくわかならいけど何かしたい。
1995年くらいはインターネットも身近ではなく、有り余る若き血潮を発散する受け皿がなく悶々としていました。
部活に打ち込み汗を流す人もいるでしょう。苦しい思い、悔しい思いをしながらも爽やかで熱い青春を送る人たちがいます。
私は帰宅部。勉強に専念するでもなく、不平不満を持ちつつも何もしていない怠惰な高校生でした。

そんな自分がもどかしかったです。
田舎への劣等感と、自分の無力感から、何か変えるにはこの町を出るしかないと思うよになりました。
小学生時代はあんなに大きく感じた町は、高校生の目には輝きを失った光景に変わって映っていました。
大学進学をきっかけにいざ東京へ。
東京には人が変わるには有り余る要素が揃っています。
変わるも変わらないもその人次第ですが、ダメになるのもならないのも…。

見事にダメになってしまいましたね笑
大学に進学することが目標ではなく、東京に行くことが目標だったのですから、一人暮らしの自由な生活や都会の刺激に流されて、大学に全く行かなくなってしまったんですよね。
2年の途中で中退。
学費と生活費を出してもらっていたので、親の気持ちに応えられず両親を傷つけてしまいました。
申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、大学に行きたいとは思えなくて。
両親との仲はいいです。反抗期はありましたがその後も仲のいい家族です。
勉強という嫌なことから逃げて楽な方を選んだ若造だったんです。
20代、ほぼフリーター

大学を辞めてからは、都会での生活や一人暮らしを楽しむ、ただのフリーター生活です。
でもあっという間に時間が経ち、27歳。
このまま楽しんでいる生活はまずいのではないかと思い、地方の実家に戻って就活をしはじめました。
27歳、初めての就職活動。
地元では、友人たちの半分が結婚して子供をさずかり幸せな生活を送っていました。
「こういう幸せの形もいいもんだなぁ。」と妙に納得したのを覚えています。

医療機器メーカーの営業職に就職が決まり、家と仕事の往復生活が始まります。
職場の人間関係は良くも悪くもなかったのですが、目標達成のプレッシャーでとにかくストレスがすごかったです。
「あ、これ絶対胃炎だな。」って思うんですが、病院に行くと仕事をしばらく休むよう言われそうだったので薬飲んでごまかしてましたね。
医療機器の勉強をし、プレゼン資料を作り、営業にでかける日々を続けます。
このブログでお話しする弱者の戦略「ランチェスター戦略」はこの時に習いました。
ある時、入社10年32歳の先輩が言った一言でこのままでいいのだろうかと思うようになりました。
「子供だけが生きがいだ」
子供がいることは当時の自分にはとてもうらやましいことだったので意外でした。

その一言には子供がいなかったら生きている意味がないような思いが含まれていたのです。
結婚してなくて子供のいない私はどうなんだ?何のために生きているのだろうか?
あと40年このまま生きていくのだろうかと30歳手前で疑問と不安を抱きます。
地方の田舎町で、プレッシャーとストレスの多い仕事、このままでいいのだろうか…。
何を選ぶかで、その後の人生が大きく変わります。
大学、職業、住む場所、付きあう人間…
就職して3年、30歳の時に、再び上京することを決意します。
30歳になろうが、まだなんでもできる!
カーネル・サンダースはは65歳でケンタッキーを起業した。何歳でもやろうと思えばできる。やるかやらないかだ。
そう思ったのを覚えています。
30歳、人生を変えるために再上京

思い切ってもう一度東京へ行ったのですが、目的も夢も持っていなかったので、入社しやすい飲食業に就職しました。
飲食に限らず、販売や接客のサービス業の面白いところは、ダイレクトにお客さんから反応がもらえることです。
「いい店だったね」とお客さんから聞こえるとものすごく嬉しくなるんですよね。

やりがいはありまくりなのでイキイキと働けたのですが、まぁ所得は低い低い笑。
30代半ばで人生を再度考えることになります。
というのも、30代半ばになると、他業種で働いている友人たちは昇進で生活が良くなっていくんですが、飲食業の昇進や昇給ってほんとに微々たるもので…。
さらに結婚して幸せな家庭を築いていく友人がどんどん増えていくので、何かして現状を変えなければと焦るようになったんですね。
もっとレベルの高い飲食店で社員になることも考えたのですが、自分の店を持ちたいと思い始めました。
何もやってこなかった自分でも、飲食ならもしかしたら自分のお店が持てるかもしれない。
人生を変えるのは選択です。「私には飲食店のオープンしかない!」と思うようになっていました。

飲食で働いている人は、自分のお店を持ちたいと思っている人多いですよね。
別の飲食店で働く友人と共同経営でお店を出す話しで盛り上がり、ミーティングを繰り返すうちにどんどん現実味を帯びてきました。
開店資金は二人の貯金を合わせても全く足りなかったので、区役所を通して銀行からお金を借りることにしました。
お金のない人は国庫や銀行から融資を受けて出店しましょう!笑
34歳、まさかの飲食店開店

お店を作るノウハウは持っていませんでしたので、内装(床、壁、天井)のことや、電気容量、水道の配管のことなど分からないことだらけ。
ネットで探した業者さんたちに迷惑かけながら店作り。
お金が無かったので自分たちでペンキを塗ったり、DIYで棚を作ったりメニューを印刷したり、節約するため色々やりましたね。
最初の1年は、友人・知人たちに助けられたり、ニューオープンにつられてお客さんが入ってきたりでギリギリ黒字になりました。
レジ金の盗難など問題が次々起こったり、赤字の月が続いたりしながらもなんとか売上は好調に伸びていき、3年間で2店舗に!

ただ、2店舗目は新しいことにチャレンジしようとなり、1店舗目は相方が責任を持ち、2店舗目は私が責任を持つ形で、その時に会社を分けて作りました。
共同経営は変わらずで、それぞれの店舗だけでなく全体の収支をみたり戦略会議をしたり、従業員の採用や教育なども一緒に行っていました。
新しいことにチャレンジした2店舗目の売上が少しずつ落ちていき、赤字が続くようになりました。
3年で潰れる飲食店は70%超えますから、まさにそれを体感しましたね。

2店舗目でこれ以上グループの足を引っ張るのはよくないので、グループ全体のことを考え閉店することを提案します。
極端な話しをすれば、焼肉屋はうまくいったけど、次に出したカフェが苦戦した。
トヨタなら、プリウスはうまくいったけど、Aという車種は下火になった。
どんな企業でも全てのアイテムがヒットするとは限らず、市場価値が無かったり赤字のものやサービス、店舗は、市場から撤退していきます。
2店舗目を閉店させることにグループとしての同意は得られました。
が、問題が発生します。
39歳、共同経営から外され無職に

「お前の戻ってくる場所はないけどな。」
共同経営のパートナーにそう言われたのです。
え??????
です。
会社を分けて作ったことがあだとなったのですね。
会社を分けて2つにしたとき、株式もそれぞれに持つべきだったと弁護士さんに言われました…
2人の貯金をそれぞれ出してお店を作り、それで売上を作ってきたから資本はそれぞれ持っていて当然のことだと。
自分はバカでお人好しでしたね。完全に信頼、信用してしまっていたので…。

逆に相方が2店舗目の総責任者であった場合、同じような提案をされたらどうだったでしょうか。
「よし、そこは閉店してまた店舗出せるよう1店舗目を伸ばしていこうぜ」

と自分なら言ったのではないかな。
“お金を手にすると人は変わる”とよく言います。
相談した弁護士さんにも言われたのですが実際よくあるケースらしいです。
泣けてきますね。パニックでした。
耳鳴りや目眩もしてましたし、食欲もなく、無気力、まともに寝ることもできませんでした
飲食経営に費やした6年間はなんだったのだろうか。
築き上げてきたもの全て失ってしまった…
しかもゼロにリセットされるのではなく、負債を背負ってマイナス…
アラフォー、飲食店勤務×未婚×妻子無し

働く気力がなく、精神的にまいってしまったので、地方の実家に戻り半年間の無職生活を送ります。
でも生きていくためには仕事をしなければいけません。
私には特別な才能も、スキルも、秀でた長所もありません。
そんな40歳がいい企業に就けるわけがないので、経験値から飲食業を選びました。
という感じで、現在、地方で飲食業に従事しているアラフォーです。
簡単には吹っ切れませんでしたけど、裏切る側の人間でなくて良かったんじゃないかなと、考え直した時に少しずつ楽になりました。

何も持たざる者でも、自分のお店を持つことができました。
誇れるものが何もなかった人生でしたが、唯一といっていいほど輝いていた日々です。
失敗や経験は財産と言うので何かの役に立つかもしれません。
低賃金で将来の不安はありますが、なんとかやっています。
幸いなことに、奥さんも子供もいない、独身です。(幸いと思うようにしました笑)
プライドが無いわけではないですが、東京から地方の田舎に戻りひっそりと暮らしています。
さて、今後どうやって生きていきましょうか。
40年生きて分かったことは、何を選択するかで人生が変わるということ。
例えば飲食店を選ぶと、世間が楽しむ金土日の週末や大型連休とは無縁です。
どういう仕事にもやりがいはありますが、やりがいと自分の送りたい人生は別ものです。
これからも生きていかなければいけないのですし、どうせなら自分らしく、自分に正直に、心地よく生きたいものです。
できる限りストレスのない生活を、不安や不満が少しでも少ない生活を送りたいです。

このように思っている人は私だけでなくたくさんいると思います。
辛い思いをしている人や苦労している人に、「がんばれ」「やまない雨はない」「きっといいことが起こるから」といった励ましをかけるだけでは未来は大きく変えれません。
私はこのブログを通して具体的な手助けがしたいです。
私は飲食業に再就職しましたが、このままでは人生に疲弊すると分かっていたのでブログを始めました。
WebやITのことに詳しくない私でもできました。
リスクがなく、努力すれば報われる個人ビジネスができる時代で良かったと思っています。
昔なら40代スキルなしの中年や、子育てしている主婦などは人生を変えるチャンスはほぼなかったと思います。
どんな仕事に就いていようが何歳であろうが、ただただ悩んでいる人の手助けになれればと、そのような思いから「返り咲きたい人たちを救う!」をミッションに掲げ「返り咲きブログ」と名付けました。
ブログであろうが何であろうが、何を始めるにも遅すぎることはありません。
すでに立派に生きている人と比べて悲観的になる必要もなく、ただ自分の人生を歩めばよく、踏み出す一歩は誰にでも平等です。
人生をどうにかしたいと思うなら不格好で泥臭くてもいい、転びながら一歩ずつ前に進めばいいんです。
この時代、いつからでも個人で返り咲くことは可能!
このブログが一つのきっかけになれたら幸いです。
一緒に人生を変えていきましょう。
長くなってしまいましたが、読んでくださりありがとうございます!
えどがわ

あとがき
私たちは成功者の栄光の部分だけを目にしますが、ほとんどの人は私たちと同じただの一般人からスタートしています。(生まれ持った才能や恵まれた環境でスタートを切る、ごく一部の人を除いて)
生まれ持った才能を別にすると、成功するには並々ならぬ努力をするか、分析・研究して戦略でのし上がるかどちらかです。(強烈な運を引き寄せるなんてことは置いておきましょう)
昔は、鬼のような努力で成り上がる人はいたのですが、今は様々なツールが用意されているので、鬼のような努力でなくても、努力×戦略で成功することができます。
もちろん簡単ではありません。
SNSなどで活躍する一般人の成功者も、努力だけでなく、戦略との掛け合わせで勝ち上がっています。
凡人の私はインスタやYouTubeを見る側の人間だと自分のことを決め付けていましたが、どんな成功者も最初はみんな一般人、お客さん側だったんです。
彼らはいきなり成功したのではありません。その裏には努力×戦略という見えない作業があります。
成功の1番早い秘訣は、成功者に寄り添ってノウハウを教えてもらうことです。
リアルな付き合いが一番ですが、コミュニケーションの取れるオンラインサロンもありかなと思います。
2番目に、有料商材を購入して学ぶことです。
有料noteは3,000円くらいが多いですが断片的な勉強になりやすく、かといって30万円くらいの講座やセミナーは高すぎるのではと思っています。
お金に余裕がある人はいいでしょうが、初心者を狙った商売をしている場合もあるのでちゃんと情報を見極めなければいけません。
3番目に、無料で自宅学習です。成功ノウハウがインターネット上にいくらでもあります。
まずはここからと言いたいのですが、無数に散らばっているノウハウを集めて体系的に学ぶのは正直難しいです。
実際に私は8ヶ月やって収入ほぼゼロでした。
始めたての初心者の中では誰にも負けないくらい情報を集めたと言えるほどのノウハウコレクターだったのに。
ですが、セルフで学ぶというのは、教科書のようなちゃんとした教材がないと道にそれてしまうんですね。そして誰も正してくれる人がいません。
お金をかけて勉強して失敗したくない、時間をかけて遠回りして失敗したくない。こう思う人は多いはずです。
なので、遠回りした上に稼げなかった実体験から、ブログで稼ぐ方法を体系的に学べるようにこのブログを立ち上げました。
高額な情報商材を無料で勉強でできると思ってもらえればと思います。
初心者はここで基礎をしっかり身につけてステップアップされるといいと思いますし、ブログをやっているけどうまくいってない方は改めて学び直していただく機会になれば幸いです。
